肌触りの建築


すでにかなり前の話になってしまいましたが、4月末に目黒区美術館主催の
目黒区総合庁舎の見学ツアーに参加してみました。

中目黒近く、駒沢通りに入ってすぐのところにある、大きく広々とした目立つ建物です。

元は千代田生命本社ビル。村野藤吾設計で1966年に建てられました。
そして2003年に「開かれた庁舎」として目黒区の区庁舎にコンバージョンされたものです。

ツアーは今年で9年目、8回目(震災の年は行われなかった)だそうで、
すでに恒例となっていますが、建築見学ツアーとしては意外にも国内初とのこと。
(次に国立西洋美術館、と言われていたと思います。)

ツアーはグループに分けられ、ボランティアの解説の方がついて、私のグループには
村野藤吾設計事務所にいらっしゃった建築士の方が解説してくださり、
とても臨場感のある話をたくさん聞くことができました。

伺った中から、いくつかのポイントを中心に振り返ってみます。


外壁の白い部分はアルミダイキャスト。

駅前の円柱ビルが若干景観の邪魔...。


広々としたファサード。翼を広げたこちらもアルミの曲線。
人を迎え入れるアプローチをとても大事にしている。


地面の石は、建物に近づくにつれ(人の体に近づくほど)、肌理が細かいものになっていく。
説明を受けないと気付かないけれども、無意識へ語りかけてくるものなのかも。
建物の中へと人を招き入れることに対して、非常にこだわりを感じる。

こんなところに瓦。



ホールの天井の明かり取りの部分。それぞれにガラスのモザイク。
(ホールの写真を撮り忘れてしまいました。)



村野藤吾は階段をとても大事にしている。ここは中でも最高傑作ではないかとのこと。
少し昔の近未来を描いたような、懐かしさと豊かさを感じます。
昭和的な香り(古臭さ)といったものを、もちろん感じないことはないのですが、
造形の美しさという点では文句なく、階段にここまでのこだわりを見せる人は確かに他にいないだろうと思います。



階段は鉄骨造で、荷重で若干揺れる。それが足に優しい。
一段目は、地面から浮いているように、そして最初の踊場は低めに(見た目の美しさ)、
それから階段のカーブは内側も外側も自然に歩けるように内側も広めに設計され、
美しさと、導線と、技術が、それぞれ考え抜かれていることがわかる。

「階段は裏だよ」と言ったとか。わかりやすさに価値をおかず、「人が感じたことが正だ」とも。



建物内部から池と数寄屋建築を見る。村野の建物の中はどれも一貫して暗い。
私はそこが苦手だったのですが、でもこうやって内から外部を見た時のメリハリの効いた美しさは、
この暗さがもたらすもの。



外壁のアルミダイキャスト枠も、ただ金属的な質感のために選んだものではなく、
想像した形をそのまま表現するのにアルミが適していたんだろうなと思う。
たしか型を取るときにおがくずを入れた、と説明されていたかと。
おがくずの質感が表面に残り、質感は全く金属的ではない。



池にカルガモの子供がいました。
(カルガモって歩いて移動するイメージがあるのだけど、こんな閉鎖的な場所で、このあとどうするの?)



建物を設計する際、村野は粘土でまず作ってみるそう。
ひたすら粘土をこねて手の中で形を作りだすから、全体像を感覚的に把握しているのだろうと思います。


和室の明かり取り。微妙な柔らかさを描く円。
おそらくこれも、コンパスではなく、CADでもなく、村野が手で描いてそのまま造ったもの。
その他も、和室には多くの曲線があって、それは同じく手で描いたものを再現したとのこと。
CADで描くしかない現代の建築には、こういう曖昧さがない。
ただ、完ぺきでない円や左右対称でないカーブを再現するには、相当な豊かさと職人技が
必要だっただろうと思う。


和室は、区民に開放されています。

そして茶室へ。洞穴の中のよう。


こちらも暗さゆえに、上から差す光で森林の中のようなしっとりとした雰囲気に。
日本の美。陰影礼賛。


茶室の屋根。金属を知り尽くした村野らしい、金属による瓦屋根の表現。



茶室の天井。あいまいな光(役所になってから、蛍光灯がちょっと白っぽくなってしまったようでした)。



屋上から見た茶室。
あんなところにあったのかと、この時点で初めてわかりました。
駐車場の下だし、建物に対して平行でもないところが不思議。



内部から見えた池もこんな感じ。



近代建築の多くは「いかに地面から離すか」に力を入れているが、
村野の建築は、いかに地面から生えているように見せるかだという。

確かに生えている。そして柱は出来る限りランダムに自然に見せる。



こちらの壁も池から生えている。


外壁も生える。妻壁の足元のカーブ。
この掲示はなんとかならないか、と交渉したそうですが無理だったそう。


こちらの向かって左の壁面の角は真っ直ぐではなく、ほんの少しカーブがあって、外側に湾曲しているらしい。
(ほとんどわかりません。)
真っ直ぐだと冷たい感じになるところを、こういった微妙な調整を行うことで、
人に優しい「肌触りのいい建築」が生まれている。



パーツだけ見たらほぼ気付かないし意味もない、ほんの少しのカーブを作ることが、
全体の印象を左右している。

その後の(設計士の)人たちが、村野のように設計しようと思ってもできない、
どうしてもどこか硬くなってしまうと。
人が気づかない無意識(無意識の心地よさ)に意識を向けられる人だったのだろうなあと思います。

設計の最初の段階で全体を想像し、細部がどのようにあるべきかを組み立てていくから、
細部だけ見ると「なぜそこまで」という手の加えように。
「人が感じたことが正」。そしてそれは「スーパーテクニック」だともおっしゃっていました。

絨毯コレクターのTさんのブログから「クリストファー・アレグザンダー」の引用の引用。
微妙な不規則性「全体に影響を与えるシンメトリーや形態のなかに、かすかな不規則性があると、そのフィールドは分化される。(手で引いた線はその線がよい線ならば機械で引いた線よりもよく見える。微妙な不完全性がある手織物は規則的すぎる機械織物よりよく見える。)微妙な不規則性からくる安心感があるからだ。しかしそれは少しずつ変化をつけようとするわざとらしさからではなく、必然的なものでなければならない。さもなければ不自然かつ幼稚な軽薄さにおちいってしまう。(わざとらしくオノで粗く割られたヒノキや、古い幌馬車の車輪や、わらが積んであるカリフォルニアのなんでもレストランの田舎風スタイルのように。)」―スティーブン・グラボー著『クリストファー・アレグザンダー』「12の幾何学的特性」より。工作舎1989年―

Tさんブログでこれを読んだ時に、ちょうどこの建築ツアーで聞いて感じたものと、
同じようなことだなという印象を受けたのでした(ツアーの方が先なので)。
「手で引いた線はその線がよい線ならば機械で引いた線よりもよく見える。」
村野藤吾が手で引いた線は、ただの線ではなく、全体の想像した上での一部を担う線だったのだろうなと。
微妙な不規則性が安心感を与えることも感覚的に知っていた。
(ここでまたしても絨毯への無理やりのつなぎ。)

人は、やっぱり自然なものに惹かれ、そして飽きることもないのだろうと。

それにしてもこの赤いコーンも当初はなかったのだろうなあ。
石とアルミの質感に安いプラスティックはいらない。

全体を観た感想は、企業の本社として、なんと贅沢な建物だったのだろうという印象です。
ちなみに、この階段の上のあたりにヘンリー・ムーアの彫刻があったそう。村野藤吾本人が、
ヘンリー・ムーアにかけあって設置。
彫刻どこに行っちゃったんだろう。。

1つの建築の見学に2時間は長いかなと思っていましたが、意外とあっという間に終わってしまいました。


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